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「上から目線」という指摘に感じる違和感

あなたは、誰かから ” 上から目線 ” と言われたことはあるだろうか?

普通は面と向かって「お前、上から目線だな」などと発言する不作法な人間はいないだろうが、それでも時折、SNSやテレビ番組、動画の中で上から目線を指摘する場面に遭遇することはある。

例えば、有名な某インフルエンサーが、アンチからの批判に反論したことがあった。アンチの俗に言う ” 上から目線 ” の批判にこう返信したのだ。

「お前、誰だよ!」

もちろん、名前や所属を尋ねているわけではない。つまり、この言葉を要約すると「知名度の無いお前の言うことに何の価値があるの?」もう少し掘り下げるなら「俺の方が社会的地位は上だから。庶民は黙っていろ」という意味だ。

そのアンチは結局、身元を名乗らなかったが、もしかしたら、インフルエンサーよりも年上だったかもしれない。もしくは、別の業界では名の知れた人物だったかもしれない。それは分からない。

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指摘に隠された心理

ここで言いたいことは、上から目線に対する指摘の裏を返せば、そこには「何で自分より下の人間に言われなきゃいけないの?」という ” 上から目線 ” が存在しているということだ。それが苛立ちとなって上から目線への抵抗として表れている。

もしかしたら、自分と同じぐらいのレベルだと思っていた人に、突然、頭ごなしに何かを言われて腹を立てるという場面はあるかもしれない。それは、あくまで ” 自分と同じレベルの人から ” という認識なので、抵抗する自己の中に ” 上から目線 ” は存在しないことになる。

しかし、そのようなケースは実際には起こらない。なぜなら、その人間関係に上下が存在しないとしたら、それは人間関係そのものが無い状態だ。例えば、二人の男性がいたとして、互いに会ったこともないというならば、彼らの中に上下の認識は無い。もし、彼らが知り合いだったとして、そこに上下の認識が無いとしたら、それは認識が無いのではなく、自分よりも相手の方が上だとお互いに認識し合っている状態だ。つまり、尊重しあった関係。

また、他者からの ” 上から目線 ” を気にする人は、序列意識が強く、” 同レベル ” という状態を好まない上下関係を明確にしたがるタイプの人間だ。

誰かの ” 上から目線 ” への反発心は、結局、自己の中の ” 上から目線 ” が刺激された結果である。

さて、ここまで読んだ人の中には、こう思う人もいるかもしれない。
「何を偉そうに解説してるんだ。お前、誰だよ!」

そう。その苛立ちが ” 上から目線 ” だ。そこには「自分に偉そうな口を聞けるのは、自分よりも上だと認めた人間だけ。こんな底辺ブロガーよりも自分の方がマシ」という序列意識が根底にある。

あなたは、そんな器の小さい人間ではないと思うが。

歪んだ世界

さて、誰かが上から目線の物言いで何かを言ってきたとする。ここで問題になるのは、上から目線であることが気になってその人の発言の真意を見落とす、もしくは、無視するということだ。

経験者が未経験者にアドバイスをする。未経験者側から見ると、経験者は ” 上 ” である。それが年下であろうと、部下だろうと、社会的地位が低かろうと、学歴が無かろうと、フォロワーが少なかろうと ” 上 ” である。

携帯ゲームの操作の仕方が分からないお父さんが、子供に「違うよ。パパ、そうじゃない」と言われれば、子供のアドバイスは正しい。それ自体に父と子の関係は持ち込むべきではない。

誰が上だとか下だとか、序列に拘るということは、誤ったフィルター越しに歪んだ世界を眺めている可能性がある。

人々の中にある序列意識が、人種差別、性差別を生み出し、偏見を生み出し、イジメを生み出し、対立を生み出し、争いを生み出す。

僕の中にも ” 上から目線 ” は存在している。もちろん、あなたの中にも。それは、使い方を誤れば、誰かを傷つけるナイフにもなりうるし、あなた自身を窮地に陥れる争いの火種にもなりうる。

プライドを持って生きることは悪いことではない。ただ、お互いのプライドを尊重し合いながら、肩を叩きあって共に歩く方がずっといい。僕たちは、ただでさえ厳しい現実に生きているのだから。

私を振り回してくるあの人から 自分を守る本 Joe (著)
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