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YouTubeムーブメントの終焉について考えてみる。(2)

要するに、今後、YouTubeの「オワコン説」なるものが出てきたとしても、それは「ブログで稼げなくなったからGoogleがオワコンだ」という主張と何ら変わらない。

正確には「YouTube広告で誰でも稼げる時代が終わった」ということだ。

もしかしたら、今の現状に苦しむクリエイターに中には、今後、YouTubeが変わることを期待している者もいるかもしれない。クリーンな動画投稿を続けていれば、いつか評価される日が来るだろうと。

ただ・・ 今後、YouTubeが大きく変わることは、多分、無いだろう。

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もう、そういうフェーズではない

クレイトン・クリステンセン著「イノベーションのジレンマ」では、大企業が過去の成功によって、内外のインフラを最適化したせいで新しい変化を起こすことが出来なくなってしまうという組織構造が語られている。

コンテンツの充実を目指し、バブルを作り上げ、プラットフォームの中で ” 成功者 ” を量産した。多くの追従者を呼び込むために。

YouTubeを押し上げてきた成功モデルは、ある意味、自らの足枷となる。もはや、構築されたそれらを打ち壊して革新を求める理由が無いのだ。

アルゴリズムやインターフェースの微調整はあるだろうが、根本的な構造にメスを入れることには大きなリスクを伴う。YouTubeは、もう、十分に成功したプラットフォームだから。

かつてFacebookがそうであったように、これからのYouTubeに求められるのは社会的責任だ。いかに大多数に支持されるか、健全なプラットフォームを維持出来るか、そういった ” 大人の事情 ” ” 世間のしがらみ ” に配慮しなければならなくなる。

実際、YouTubeは、年々、利用規約の厳格化、動画に対する規制を強化している。これまで許されてきたことが規制対象となり、収益化無効で数々のクリエイターたちが撃沈してきた。そして、消えていくクリエイターの代わりなどいくらでもいる。” 成功者 ” がルアーとなり、新しい参入者を引き寄せ続けているからだ。

YouTubeは、人種差別や偏見、政治的プロパガンダ、テロリズム、犯罪、人権、個人情報保護、そういったレベルの社会問題に取り組まなければならない。個人のクリエイターがAIによって誤BANを受けて収益ゼロになったというような話は、さして取り組むべき課題にはなっていない。

多分、誤BANや、誤収益化無効という問題は、今後も無くなることはないだろう。

芸能界からの参入という波

今、中堅クラスのクリエイターは、多分、昨年から増加している芸能界からの参入に懸念しているのではないだろうか。事実、YouTube上では「素人 VS プロ」という構図が出来上がりつつある。

前回の記事では、YouTubeは先行優位性が強く働くプラットフォームだと言ったが、後発として参入してきた芸能界の波は、YouTubeの覇権を取ることが出来るのだろうか?

まず、ここで誤解してならないのは、そもそも、YouTubeに参入してきた芸能人は ” 後発 ” ではない。

長い期間、芸能活動を通じて知名度を上げてきた芸能人が、ここぞとばかりにYouTubeチャンネルを開設する。それは、ある意味、途轍もなく前振りの長いプロモーションを経て、公開される最新作映画のようなものだ。

そして、もう一つ前提がある。それは、YouTubeが幅広い支持を得るために、ターゲットの年齢層が年々上がってきているという事情だ。これまでは10代20代の若者からの支持基盤を固めてきたが、今後は、テレビを視聴する層 ” 大人 ” を取り込むことになる。

つまり、芸能人の参入がテレビ視聴者をYouTubeへと導くわけだ。ここまで来ると、YouTubeのプラットフォーム戦略がいかに巧妙に計算されたものかが分かる。まさに、キャズムだ。

もしかすると、芸能人大量参入のきっかけを作ったカジサックチャンネルの成功は・・・ それは、深読みし過ぎだろうか。同チャンネルは、まさにYouTubeと芸能界の「橋渡し役」となった。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが。

優秀な営業マンが多くの顧客を連れて新しい会社に就職すれば、無論、その会社の営業利益は上がるだろう。それと同じ現象が起こっている。いずれにせよ今回の芸能界の動きは、YouTubeにとっては歓迎すべきことだろう。

顧客ごとパッケージングされた芸能人の参入は、従来、YouTubeで活動してきたクリエイターの顧客を奪うというよりは、新しく拡大したシェアへの進出を阻むライバルの出現だと考える方がよいのかもしれない。その場合、クリエイター側がオフェンスとなり、芸能人側がディフェンスとなる。

単純な話、20代の若者向けのドラマを40代の大人が観ることはないだろうし、40代向けのドラマを20代の若者が観ないという状況と原理は同じである。さながらYouTubeは、二つのドラマを放映しているテレビ局といったところだろうか。

問題は、若者の中でも40代の向けのドラマを観る層は一定数存在するし、40代であっても若者向けのドラマを観る層も一定数存在する。その部分は、間違いなく取り合いになるだろう。

中堅クリエイターの受難

もし、素人の新規参入者、まさしく ” 後発組 ” が、拡大するYouTube市場に飛び込んでいけば、そこには、素人から成り上がった先行者と芸能人がいるわけだ。また、芸能人だけが ” プロ ” ではない。

例えば、政治系のチャンネルを開設しようとしても、そこには、すでに政治家や著名な評論家、政治学者、ジャーナリストなどの公式チャンネルが存在している。よほど才能や企画力があるなら ” プロ ” の中に食い込むことは可能かもしれないが。

または、誰も攻め込んでいないニッチな分野にポジションを築くという方法もあるかもしれない。

ただ、ブログ業界でもそうだが、誰も攻め込まない市場は、誰も来ない市場でもある。そして、そういった小さなニーズはトップクリエイターが、単発の企画として動画を出せば、それで十分満たされてしまうのだ。

いずれにしても ” 後発組 ” にとっては厳しい状況には違いない。

とは言え、参入後、短期間で多くの登録者を集め、成功している中堅クラスのクリエイターも存在している。多分、トップではなく、少し目標値を下げた、そこを目指しているビギナーも多いのではないだろうか。

僕はここ一年ほど、登録者を伸ばしている比較的新しいチャンネルのいくつかを定点観測している。ただ、そのどれもが、登録者数の伸び率が鈍化しているように見える。徐々に増えてはいるが天井がつっかえているといった印象だ。

やはり、すでに多くのシェアを占めている先行者の存在は大きいだろう。テレビのバラエティ業界では大物タレントが名を連ね、それがキャップとなり、中堅クラスのタレントの活躍する場が制限されているという現象が起こっているが、多分、同じことがYouTube上でも起こっている。

また、登録者は増加しているが再生回数が思わしくないというケースもある。1年ほど前に開設され、現在、登録者数50万人ほどの某エクササイズ系チャンネルでは、筋トレに関する一本の動画がバズり、1000万再生という驚異的数字を叩き出した。しかし、最近、投稿されている動画はいずれも数万再生と視聴回数が伸びていない。

たった一つの動画がバズることで登録者が激増するというケースは実際にある。この場合、チャンネル登録ボタンは、ある意味 ” ブックマーク ” のような役割を担っている可能性がある。

つまり、チャンネル自体のファンというより、その動画の続編待ちのための ” 付箋替わり ” といったところだろうか。無論、突然、増加した登録者たちは、そのチャンネルの他の企画には全く関心を持っておらず、彼らが求めているのは、バズった動画と ” ほぼ同じコンテンツ ” でしかない。

この場合、クリエイターとしては同じ企画を何度も動画にするわけにはいかず、幅広いテーマを扱おうとする。でなければすぐに飽きられてしまう。しかし、多くの登録者にとっては作り手側の事情など無関係であり、飽きれば別の動画を探すだけだ。

要するに「また、あれが見られるかもしれない。一応、置いておこう」という薄い期待感によって解除を免れたチャンネル登録者数という ” 痕跡 ” だけが残る。それが、登録者数と再生回数の剥離として表れる。

「動画が一本バズりさえすれば・・」と夢を抱くことは出来るが、実際、成功しているかに見える中堅クラスのクリエイターを取り巻く環境もそれほど恵まれているわけではなさそうだ。

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コンテンツの原点

さて、素人がYouTubeで成功するのは、もう無理だから諦めろと言ってしまえば、それまでだ。しかし、YouTubeというプラットフォームはそれほど単純ではない。

これから職業として動画を作り広告収入を得るという、いわゆる ” ユーチューバー ” になるというのは現実的とは言えないかもしれない。ただ、YouTubeは、ユーチューバーだけが動画を投稿しているわけではない。

因みに、僕は動画の制作者を総称として ” クリエイター ” と呼んでいるが、それは ” ユーチューバー ” と同義ではない。

例えば、広告をつけずに単にデッサン画の作成過程を動画として投稿している無名画家がいるならば、それは ” クリエイター ” と呼ぶ。また、偶然アクシデントに遭遇した一般市民がスマホで撮った動画をYouTubeに投稿した場合は ” 動画投稿者 ” と呼ぶことにしている。

数年前、YouTubeがこうなる以前、僕は様々な動画をYouTube上で検索していた。料理の作り方から、ギターの弾き方、音楽機材のレビュー、プログラミング、3DCGソフトウェアの操作の仕方、グラフィックボード性能の比較、・・

例えば、ギターであの曲が弾いてみたいとなったときは、曲名に加え ” guiter tab ” もしくは、” guiter lesson “とキーワード検索をする。すると、無名の少年ギタリストがその曲を丁寧に解説する動画を見つけることが出来た。

マイナーな曲を検索した時は、なかなか見つからず、ようやく探し当てた5年前の動画は視聴回数が数十回という「ほぼ誰も見ていない動画」ということもあった。しかし、その時の僕にとっては、それが、唯一求めていたコンテンツだった。

騒音防止のためなのか音響のためなのか分からないが、自宅のトイレでギターの弾き方を教える動画もあった。動画の中で熱唱するどこかのオッサンを画面越しに眺めながら、合わせてギターを弾いてみたりすることもあった。

昨今、” ユーチューバー ” という職業ばかりが注目されがちだが、YouTubeには、元々、そういった一般人による収益化目的ではない趣味の延長としてのコンテンツも多く存在している。これらが、YouTubeのコンテンツの一端を担っていることも忘れるべきではない。

また、YouTubeを他のSNS同様、一つの集客ツールとして利用しているビジネス層もある。例えば、絵画教室を営んでいる講師がYouTubeで絵の技法について解説するチャンネルがある。つまり、生徒を集めるために積極的に情報発信していくというスタイルだ。

音楽関連のショップが運営するウェブサイトでは、ソフトウェアや機材の解説を動画で行っている。YouTubeにアップロードした動画をウェブサイトに表示して解説記事の一部として利用しているのだ。この場合、YouTubeは動画を保管しておくクラウドストレージのような役割を担っている。

今、巷で注目を集めているユーチューバー界隈、言い換えるなら ” YouTube芸能界 ” と、これまでがそうであったように情報発信の手段として使われる ” SNSとしてのYouTube ” は完全に別だと考えるべきなのかもしれない。

そもそも、SNSとしてのYouTubeが全体像であり、その中で大きなコミュニティとして ” YouTube芸能界 ” が生まれたというのが僕の認識だ。

この ” SNSとしてのYouTube ” は、使い方次第では、単なる ” 広告収益で生計を立てるためのツール ” とは別の可能性が広がっているようにも思える。

世界で話題となった一本の動画

今年、4月21日、映画「華氏911」で有名なマイケル・ムーア監督の最新作「Planet of the Humans」が、YouTubeで無料公開された。クリーンエネルギー業界の欺瞞を暴く問題作として、今、話題になっている。現時点で動画の再生回数は750万再生となっている。

因みに、マイケル・ムーア公式チャンネルの登録者数は17万人だ。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した世界的に有名な映画監督であるにも関わらず。しかし、この状況は、それほど奇妙な現象ではない。事実「Planet of the Humans」の再生回数を見れば、この映画が世界に与えた反響の大きさが分かるだろう。

そもそも、ムーア氏はYouTubeに軸足を置いているわけではない。チャンネルに投稿されているコンテンツのほとんどは、動画ではなく、自身がパーソナリティーを努める「Rumble w Michael Moore podcast」というラジオ番組が再アップされたものだ。

今回の最新作の無料公開も感染症による外出規制に配慮した臨時の措置だった。つまり、状況に応じてYouTubeという媒体を ” 活用 ” したのだ。

また、今回投稿された動画には多くのコメントが寄せられているが、まさに、一石を投じたムーア監督の意図するとおり、人々が作品を見てクリーンエネルギーについて考えるきっかけを作っている。多分、彼の過去作に興味を持った視聴者も多いのではないだろうか。僕は、この動画にYouTube本来の使われ方を見た気がする。

これは、プロの映画監督が最新作をYouTubeにアップロードするようになったから、もはや個人のクリエイターの出る幕ではないという話ではない。

2019年11月23日、TikTokに一本の動画が投稿され世界で大きな反響を呼んだ。動画は140万回以上も再生され、その後、Twitterで拡散し650万回以上再生された。

アメリカ・ニュージャージー州在住のアフガニスタン系アメリカ人、フェロザ・アジズ(19)さんが投稿した動画の内容は、表面上では単なるメイクのレクチャー動画となっていたが、彼女はまつ毛にカールをつけながら中国政府によるウイグル人弾圧の現状を訴えた。

数日後、TikTokによりアジズさんのアカウントは停止。多くの人々が「不当な検閲だ」とその措置を非難した。その後、TikTok側は、この件に関して「アカウント停止の理由は、過去に投稿された別の動画によるもの」と弁明し、アカウントは復活。

アジズさんは、Twitterで「すでに削除された古いアカウントの動画が原因で、今のアカウントの動画が削除されたなんて信じられない。なぜ、投稿した直後なの?」とツイートした。

一人の女性が投稿したたった40秒の動画が拡散され、多くの若者が「ウイグル問題」を知るきっかけとなった。

これは、” 可能性 ” ではないのだろうか?

もしかしたら、人々は広告収益化という呪縛に囚われるあまり、もっと大きなことを見過ごしているのかもしれない。

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