有名人が何かアクションを起こすと、必ずつきまとうアンチコメント。
YouTubeという世界でも、ある程度、名前が知られているクリエーターのコメント欄を見れば、必ずアンチコメントを見つけることが出来る。
どんな当たり障りの無い発言、動画であっても、それはついてしまう。一体、アンチコメントは、なぜつくのだろう?
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当たり障りの無い発言にもアンチコメント
登録者100万人を超えるほどのトップユーチューバーならば、ファンの書き込む大量のコメントにアンチコメントが埋もれてしまうので目にする機会は少ないかもしれない。
また、トップユーチュバー本人が大量のコメント一つ一つをチェックするほどの時間は無いだろう。
ただ、Twitterやブログである程度の成功を収めた有名人がYouTubeに参入すると、アンチコメントが比較的多い印象がある。
「こっちの世界に入ってくるな」というような縄張り意識なのか「簡単に成功させてたまるか」という嫉妬心が、クリエイターの足を引っ張る。SNSという世界では、そういった集団心理が働くことがしばしばある。
中には、アンチコメントによって心が折れてしまい活動を一時休止してしまうクリエーターもいるようだ。
もちろん、アンチコメントすらつかないクリエーターもいるわけだが、そういった浮上していないチャンネルは、そもそも検索では上位表示されないので人の目に触れることがなく、コメント自体もつかない。
届かないメッセージ
僕が、YouTubeの動画を見ていてコメントを書き残すとしたら、登録者が1000人にも満たない今だ浮上できていないクリエーターが頑張っている姿を見たときだろう。
コメントで送ったエールが確実にクリエーターに届くはず、だからだ。律儀なクリエーターならば、わざわざ感謝の言葉を返してくれることもある。
自分のコメントにクリエーターが反応してくれることは、確かに刺激的な体験だ。そこから熱心なファンが生まれるということも理解できる。
逆にトップユーチュバーの動画にはコメントを書き込みたいとは思わない。
時間を使って書きこんだコメントは、ファンの書き込んだ多くのコメントに埋もれ、クリエーターにとっては世間的反響の一部にしか見えないからだ。
届かないメッセージに意味は無いし、時間を割きたくはない。しかし、多くの人が、似たような共感コメントを書き残していく。
石を投げる人たち
逆に、僕が動画に対して異議を唱えたい場合は、コメントは書き込まない。
それが登録者の少ないクリエーターならば、多少なりともへこんでしまうだろうし、僕の場合、反論コメントを他人のコンテンツに書き残すぐらいなら、ブログの記事にするだろう。
ブログは自分のフィールドであり、見たい人だけが見ればよいメディアだからだ。
クリエーターのメンタルを下げるために、動画のコメント欄にそれを書き込むとしたら、「気に入らない」という理由で見ず知らずの人が、クリエイターに向かって石を投げているようなものだ。
視聴してくれと頼んだわけでもなく、料金を請求したわけでもないのに、わざわざやってきて文句を言う人々。
なぜ、石を投げるのだろう? 気に入らなければ立ち去ればよいだけなのに。
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誰もが情報発信をしたがっている
YouTubeのコメント欄は、クリエーターの投稿した動画というコンテンツの一部として機能しているかに見えるが、それだけではない。
動画下にあるエリアは、コメントを残す人にとっては「自分のための小さなブログ」なのだ。
動画を見た感想を書き込むという体を取り繕ってはいるが、それを書き込む人にとっては、自分の意見を人々に知ってほしいという自己顕示欲を満たすためのツールとして機能している。
良いことにYouTubeには、コメントに対して返信をする機能があるので、自分のコメントに対する誰かの反応を確認することも出来る。
つまり、クリエーターの動画のコメント欄に、「自分の意見」とやらを書いておけば、動画を見たついでに自分のコメントを見てくれるという「コバンザメ効果」を期待できる。
もしこれが自分で立ち上げたブログならば「自分の意見」は、誰にも見られないまま虚しく放置されていただろう。
もちろん、純粋にクリエーターにメッセージを送りたいという意味でコメントを残す視聴者もいるが、アンチコメントを残す者は、それには該当しない。
彼らは、自分の意見が人を惹きつけるだけの影響力が無いことを自覚しており、同時に誰かに理解してほしいとも感じている。
だから、ブログで自己主張するという方法ではなく、クリエーターの影響力を借りながら、クリエーターを傷つけるという矛盾した行為をしているのだ。
アンチコメントには二つのタイプがある
アンチコメントにも二種類ある。先ほど言った「コバンザメ効果」を利用して、コメント欄で個人のブログを運営する者。
もう一つは、単なる罵声である。
罵声タイプのアンチコメントは、単に成功者に対して「何で、こんな奴が自分よりも成功しているの?」という社会の不条理に対する個人的な怒りとして書き込まれる。
そして、大抵は、心に問題を抱えている者が書き込む。
もはや、これはクリエーターにとっては「通りを歩いていると機嫌の悪い野良犬に噛み付かれた」といった不運でしかない。
クリエーターに落ち度があるわけではないし、それを回避するために動画を当たり障りのない作品に仕上げる必要もない。
どう対応しようが、唸り続ける犬は、必ず噛みつくだろう。
アンチコメントの対処
では、クリエーターは、この二種類のアンチに対してどう対処すべきだろう?
煽り系、炎上系と呼ばれるユーチューバーの中には、アンチに対する反論自体をコンテンツ化し動画にしている者もいる。アンチの発言は彼らにとっては単なる「ネタ」に過ぎないようだ。
そこまで逞しくなれるかは人によるとは思うが、罵声タイプのアンチに対しては、基本無視という姿勢で構わないと思う。
それによってクリエーターが方向性に悩んだり、作風を変えたりすることは、酔っ払いの意見で国政を決めるようなものだ。
では、コバンザメタイプのアンチに対しては、どう対処すべきか?
世の中には、自分とは違う意見を持つ人がいると気づかされるという意味では、有益と考えることも出来そうだ。
と言っても、それだけ有益な意見が言えるならば、ブログかTwitterで「自分の意見」を発信する方が理にかなっている気もする。
有益でもない限りは、クリエーターは適当に受け流す程度の姿勢で構わないだろう。
現在、ユーチューバーとして活動しているメンタリストDaiGo氏は、コメント機能をOFFにしている。彼は、とある動画で次のようなことを言っている。
コメントを書き込む視聴者は少数のコア層なので、大多数の人が見るコンテンツを作成する上で参考にはならないと。
つまり、コアなファンとの交流よりも、大多数の視聴者を優先した形だ。現在、161万人の登録者を有するトップユーチューバーならば合理的な選択だろう。
そもそも、YouTubeのコメント欄は、デフォルトでOFFでもよいのではないだろうか?
礼儀無きコメントには価値が無い
アンチコメントではないが、動画に対する意見には、画質や音声など技術的な指摘をする視聴者もいる。また、動画内での発言に誤りがある場合に丁寧に教えてくれる人もいる。
こういったコメントは、はやりクリエーターにとっては有益な情報になるので必要だと思う。
ただ、それをネタにあげ足を取る形で攻撃するアンチが存在するのも確かだ。あまり、礼儀の無い文体でコメントを書き込めば、クリエーターに単なるアンチだと認識されてしまうかもしれない。礼儀正しく指摘をしてくれる人ならば、クリエーターもやりやすいはずだ。
いずれにしても、誰かの作品に匿名で批評をするなら、最低限の礼儀は必要だろう。
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