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アリアナ・グランデ「七輪」騒動に見る炎上の本質

僕は、アリアナ・グランデのファンではないが、この「七輪」騒動にSNSの問題点を見たように思え、少し調べていた。

事の発端は、歌手アリアナ・グランデ氏が、2019年1月下旬、新曲「7 rings」の発売を記念して、手のひらに「七輪」という漢字のタトゥーを入れた写真をインスタグラムにアップしたことから始まった。

SNS上で、グランデ氏に対し「それはバーベキューグリルだ」という指摘が殺到。グランデ氏は、改めて「七輪」という文字の下に「指♡」と付け加える。

その後にも「文化の盗用だ」という批判があり、グランデ氏がそれに反論。最終的にはグランデ氏の公式サイトから、日本語を使ったオフィシャルグッズが全て取り下げられるという事態に発展した。

大量の重複ツイート

影響力のある有名人が、公の場で何かミスをしたり、誤解を招く発言をすることで一斉に指摘や避難の声がSNS上で上がることは珍しくない。

2017年10月12日、堀江貴文氏がTwitterにて「保育士は誰でも出来る」というツイートに「保育士という仕事をバカにしている」と批判が殺到した。その後、堀江氏は、批判するツイートに対して、丁寧な説明をつけて反論した。

ここに「1対多」という構造がある。

有名人一人の言動に対し、不特定多数の人間が指摘、批判をするわけだが、似たような状況に「記者会見」がある。

会見を開く有名人、その前に集まった記者たちが順番に質問をしていく。そして、質問内容がかぶることはない。制限時間内に同じ質問をすることに意味が無いからだ。記者たちは、誰がどんな質問をしたかを把握した上で別の角度から、新しい質問を投げかけていく。合理的な仕組みだ。

一方、Twitterで発生する炎上騒動は、「1対多」という部分は記者会見と同じだが、批判する側は、誰がどんな批判をしたかをいちいちチェックしない。時間も無制限だし、順番もルールもほとんどない無法地帯だ。

誰かが「それはバーベキューグリルだ」と言ったかどうかを確認することなく、同じ指摘を大勢の人間がほぼ同時期にツイートする。この大量の ” 重複ツイート ” が、あたかも「世間の声」のように思えて有名人の心を挫く。

堀江氏の保育士発言炎上との共通点

Twitterには140文字という文字数の制限がある。なぜ、140文字なのだろうか?

それは、サービスを提供するTwitter側が、ほとんどのユーザーの主義主張は140文字以内に収まる程度の薄っぺらいものでしかないことを知っているから・・と思うのは、少々、うがった見方だろうか?

もちろん、著名な知識人もTwitterを利用しているが、彼らは多くの出版物を世に出している。そして、Twitterを販促ツールや知名度を上げるためのツールとして使い分けている。

堀江氏の保育士発言による炎上騒ぎに乗じて、出てきた批判の数々をまとめサイトで見ていると、いわゆる「体験者は語る」スタイルの批判が多かったように思う。

つまり「現実を知りもしないよそ者が勝手なことを言うな」という批判だ。140文字に怒りを込めて堀江氏を批判している。しかし、裏を返すと140文字で言い終えてしまえる程度の主張でもある。

多分、これまでの人生をかけて学んできた「現実」を上から目線のインフルエンサーに教えてやりたかったのだろう。そして、実際に文章を打ち込んで見ると、意外に140文字以内に綺麗に収まってしまい「あれ?」となる。

本当はもっともっと主張すべきことがあると思っていたが、自分の主張がTwitterで呟ける程度の内容だということに、ようやく気付く。

その主張が感情的であるほど、文字に起こした時に感じる落差は大きい。怒りの大きさを文章で表現することは、ほとんどの場合、主張の繰り返しにしかならないからだ。

堀江氏に対する批判の数々は「言いたいことは山のようにあるが、それが文章として伝えきれないことへの苛立ち」でもあるわけだ。

しかし、それは文字数制限のせいでもなく、伝える力が不足しているからでもなく、元々、伝えようとしていた主張が、山ではなく「土の膨らみ」でしかなかった、ということかもしれない。

批判ツイートを寄せるユーザーの多くは、こうしたジレンマを抱えているように思える。

「現場からの声」を利用して

アリアナ・グランデ氏の「七輪」騒動も、堀江氏のケースと類似している部分がある。

グランデ氏に向けられた「文化の盗用だ」というあたかも知的な雰囲気を出したこの批判は、つまりは「日本のこともよく知らない部外者が、いい加減なことをするな」という堀江氏の保育士発言に対する批判と構図は同じである。

要するに部外者に対する「何も知らないくせに」という現場からの声なのだ。どうやら、日本人はこういった構図にはまりやすいようだ。

140文字の中で、難しい言い回しでもっともらしい主張を展開していても、結局は、そのどれもが「何も知らないくせに」というメッセージでしかない。

「現場からの声」というのは、しばしば怒りに満ちている。

それは、現場の不条理に絶えながら、蓄積されたフラストレーションをぶつける場所がない時に、不意に部外者の無神経なツイートが目に入る。

「何言ってんだよ。こいつは?」と衝動的にそれに反応する。

本来は、会社の上司に言うべきこと、経営者に言うべきこと、国に言うべきこと、人生の選択を誤った自分自身に言うべきことを140文字に託して呟く。明らかに「お門違い」だ。

石を投げる人々

ただ、グランデ氏への批判は、状況が少し違っている。

文化の盗用についての批判は、現場の怒りから自然発火したものではなく、グランデ氏を批判するために意図的に利用された「言いがかり」のようにも思える。

外国人が日本文化を誤って捉えているという現象は、映画やゲームなど、今に始まったことではないし、それにいちいち腹を立てる人がいるということの方に驚きだ。

スーパースターにアンチがいるのは仕方ないが、頭のいいふりをして批判するぐらいなら

「輝いているアリアナを見ると自分が小さな存在だと思い知らされる。だから私は彼女が嫌いだ」

と正直に言えばいい。

グランデ氏は、Twitterの中で批判に対し反論をしながらも「私に何を言ってほしいの?」と問いただしている。

彼らは、グランデ氏に発言を求めているわけではない。ただ、投げるべき相手に投げられなかった石を彼女に投げて傷つけたいだけなのだ。

そして、最悪なのは、自分が投げているものが「単なる石に過ぎない」ということに気づいていないという点だ。彼らは、それが有意義な情報交換であり、SNSのコミュニケーションなのだと勘違いをしている。

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