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ブロガーがYouTubeに進出したとき躓く3つのこと

ブログの世界では、多くの読者を持っている影響力のあるブロガーが無数にいる。そして、その影響力に乗じてYouTubeデビューを果たすブロガーもいる。

テキストを使った自己表現という意味では、ブログだけでなくTwitterで多くのフォロワーを抱えるインフルエンサーがYouTubeに進出する場合もやはり同じだろう。

テキストによる自己表現が確立した人とはいえ、YouTubeに進出するとその違いに戸惑うことはありそうだ。

僕はYouTubeをやってはいないが、視聴者側から見て参入者として色々なブロガーが苦戦しているのを度々目にしてきた。

そこでブロガーがYouTUbeデビユーした後に、躓きやすい共通点があるように感じたのでそれを3つあげてみた。あくまで、プレイヤーでもコンサルでもなくウォッチャー側からの意見だ。

1.トークがイメージと違う

僕は始まったばかりのチャンネルをよくチェックしている。

そして、その人がどういった経緯でYouTubeに参入しているのかを調べる。動画を見れば、ブログやってます。Twitterやってます。と言うからそれはすぐに分かる。

ただ、その人たちが出している動画を見ていると最初に気になるのは、撮影技術や編集ではなくて「喋り」だ。

テキストから感じる印象と実際に本人が動画出て喋っている印象に「違和感」を感じてしまう。

ブログを読んでみると、バサッと世の中を切って面白かったりするのだが、いざ動画になると途端に無表情でボソボソと喋っているだけの「YouTube 映え」しない人物になってしまう。

何だろうこの落差は?

小説家がテレビ出演した時にも、同じ違和感を持つことがある。芥川賞受賞作家だから凄いオーラを放っているようにも思えるが、実際、画面に映ると意外に普通のオジサンだったりする。何だかテレビ映えしないのだ。

2. バランスが取れない

やはり、主戦場がブログということならブログにエネルギーを注ぐ分、どうしたってYouTubeとの兼ね合いが必要になってくる。

ブログからユーチューバーに転身ということなら別だが、ブログとYouTubeの両立となると作業の一部を外注化できたとしても、本人でなければ出来ないことはあるわけで、トップユーチューバーのようなこだわり抜いた動画を作るのは難しいのではないだろうか。

実写となれば撮影場所を確保したりしなければいけないし、寝起きのボサボサ頭で撮影というわけにもいかない。と言って音声だけの動画となると、映像のインパクトを捨てるということだ。音声だけのラジオ動画で、映像クリエーターと同じインパクトを与えるのは難しいかもしれない。

将来的には、ブロガー数人が共同で一つのチャンネルを運営するという形も出てくるかもしれない。そうなるともはや法人事業だ。

3. 流れてこない

最後はブロガーというよりインフルエンサーについてだが、Twitterで多くのフォロワーを抱えていたとしても、その人たちが動画を見に来てくれるかは微妙だという話。

実際に、メインのブログからの流入に苦戦しているユーチューバーもいるようだ。

Twitterの特徴は文字数が限られているので要点だけを数行の文字で伝えるという部分だと思う。ある種、大喜利みたいなものだ。

発信者も限られた文字数でまとめてくる。見る側も適当にスクロールして流し読みをするといった時間をかけない見方をする。発信者も受信者もそういう世界だと割り切って成立しているプラットフォームだ。

そういった場所でインフルエンサーが10分の新着動画をツイートする。

見るだろうか?

僕はフォロワーだったとしても見ない。

よっぽど動画のタイトルに魅力を感じれば見るかもしれないが、10分は結構長いと感じる。10分拘束されるぐらいなら、他の呟きをチェックしたい。

見る側の視点では、インフルエンサーは一人では無いわけで。一人のインフルエンサーに拘束はされたくない。

つまり、TwitterやブログからYouTubeに流すというなら、この辺りをクリアできるぐらいのクオリティが必要なのかもしれない。

ブログの片手間にYouTubeをやるというのでは、どちらのクオリティも担保出来ない可能性がある。

外注にアウトソースすればいいという考えもあるが、もちろん、他のクリエイターも同じことを考えるだろう。そして、アウトソースで得られた空き時間をYouTubeのためだけに使う。

動いている人を見て感動するということ

テキストで自己表現をしてきた人たちが、動画という新しい分野に出ていくというのは必然だと思う。

そして、「ああ、この人があのブログ書いてたのか」という驚きがあったりするのは、YouTubeの面白いところだ。

動画を視聴しているうちにその人間性に興味を持ったりする。これはブログではなかなか出来ない。人に惚れるということはあるけど、文章に惚れるとなると、プロの小説家のようなクオリティでもなければなかなか難しい。

コンテンツのクオリティより、画面の向こう側の人が生き生きとした目で僕らに語り掛けてくることが、僕がYouTubeを見つづけている動機なのかもしれない。

それは、テキストでは絶対越えられない部分だ。

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