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「それは手段であって目的ではない」というお決まりフレーズって・・・

ブログ界隈やTwitter界隈で、時々耳にするこのセリフ。

「それは手段であって目的ではない」

何か議論最中や、ブログ記事の合間にこのフレーズが出てくると「ん?」と、一瞬、思考停止状態になってしまう。

具体的な例で言えば、Twitterでフォロワーを増やすために毎日呟き続ける人々に向かって、とあるインフルエンサーが次のように言う。

「君らはフォロワー数を増やすことが目的になっている。それは手段であって目的ではない」

この決め台詞が、どうもしっくりこない。多分、頭のいい人なら、言葉の意味をすぐに理解できるのだろう。だが、僕は頭の回転が人一倍遅いため、この言葉が何を意味しているのかが、瞬時には理解出来ないのだ。

この時、僕の頭に浮かんでるのは、次の疑問だ。

そもそも「目的」って何?

フォロワー獲得が目的でないとしたら、多くのフォロワーを獲得した後に展開されるビジネスが「目的」と言うのだろうか? それは、金儲けの手段では?

それで何か旨味のあるビジネスに繋がり「収益」を生み出したとして、その収益は何に使われるのだろう?

きっと税金を納めたり、車を買ったり、家を買うために使われる。ならば、収益さえも手段ということになる。

車を買うとして、それは、車に乗ってどこかに行くために買うのだから、それも手段。そのお金で食料を買って食べるとしたら、それは生きるための手段になる。

要するに、僕らが目的だと思っていることのほとんどは「手段」に思えてくるのだ。「死なずに生きる」ということ以外は。

金メダルという最終目標

こんな反論があるかもしれない。

「オリンピック選手の目的は金メダルを取ること。これは、間違いないだろう」

確かに、オリンピックアスリートの最終目標は金メダルを取ることなのだろう。他にも、年内に結婚をすることを目標に婚活をしている人もいるし、いい大学に入るという目標のために日夜勉強に励む学生もいるだろう。

そうした明確に「目標」と言えることには、一つの共通点がある。

「それを達成した後のプランが無い」ということだ。

金メダルが最終目標とは言っても、そこで選手生命が終わるわけではないし、人生が終わるわけではない。

もし、引退後、第二の人生に気持ちよく踏み出したいという思いが選手の中にあるのなら、金メダル獲得は最終目的ではなく、第二の人生のためのステップの一つと言える。

つまり、その場合、金メダル獲得が「手段」になるわけだ。

自転車に乗れない少年

自転車に乗れない小さな少年が、サドルにまたがって練習している。その子の目標は間違いなく「上級生と同じように自転車に乗れるようになること」だろう。

きっと自転車に乗れるようになってから、どこに行きたいかということまでは考えていない。その状態こそが「目標」を作り出している。

仮に、その子が近くのスーパーに行ってお菓子を買いたいという目的が別にあり、自転車に乗る練習をしているのだとしたら、「自転車を乗りこなす」という目的は、たちまち「手段」になる。

その子がようやく数メートルだけ進めるようになった時に、先ほどのインフルエンサーが現れてこう言い放つ。

「君は自転車に乗ることが目的になっている。それは手段であって目的ではない!」

僕がその場にいたら、その子にこう言いたい。

「他のことは考えるな。集中しろ!ほら、もう少しだ!ガンバレ!」

目的と手段の違いは、その後のプランがあるか無いかに過ぎない。そして、プランを決めるのは、本人だ。誰かに言われて決めることじゃない。

正しい答え方

冒頭のTwtterの話に戻ろう。

フォロワー獲得が目的になっている人がいたとして、その人は、きっとこう思っているのだろう。

「とにかく、フォロワーを増やしたい。後のことは考えていない」

その人が、その後のプランを立てていないというなら、それは間違いなく、その人の「目標」なのだ。現時点では「手段」にはなっていない状態。

だから、誰かが「手段が目的になっているよ」と得意気に忠告してきたら、次のように言い返すといい。

「まだ、目標にしておくんだよ。もう少し成果が出てきたら、手段に切り替えるから」

多分、忠告をした相手は「何言ってんだこいつ?」と思うだろうが、それが正しい返答だ。

Twitterのタイムラインに流れてくる人生の教訓は、よくよく考えてみると奇妙なものが多い。

これからも、ブログネタとしてチェックしていこう。

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