Twitter界隈でよく見られるのが「憧れフォロー」だ。( 単に僕がそう呼んでいるだけだが )
例えば、とあるイラストレーターのフォロワーが1万人いるとする。そのフォロワーの大半は、イラストレーター志望の若者だったりするわけだ。つまり、その人みたいになりたくてフォローしているという状態を「憧れフォロー」と呼んでいる。
さて、これの何が問題だというのか?
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リバースエンジニアリング
例えば、僕が有名ブロガーのTwitterアカウントをフォローしたとする。この場合、僕はブロガーとして成功している実績をフォローしているわけだ。
「この人は、どうやってこんなにアクセスを集めているのだろう?」
「この人はどうやって記事のタイトルを決めているのだろう?」
というような疑問から、勉強の意味でフォローする。
はっきり言ってしまえば、その人の記事の内容など読まないし、どうでもよいのだ。仮に読んだとしても「ああ、なるほど、こんな感じで記事かいてるんだ」という読み方しかしない。
お笑い芸人が舞台袖で、他の芸人の漫才を観察している感覚に似ているかもしれない。技術として評価し「面白い」とは言うが、それは芸人から見た「面白い」であって、客として楽しむというのとは違う。
僕が言いたいのは、こういった同業者目線のフォローは、純粋なファンと呼べるか? という疑問だ。
とある電子機器メーカーが、ライバル社の製品を大量に買い込んで、会社に持ち帰ってリバースエンジニアリングする。製品を正規購入したとはいえ、これは ” 顧客 ” とは呼べないだろう、という話だ。
フォロワーがフォローしているもの
先ほどの一万人のフォロワーがいるイラストレーターの例で言うなら、その人にお金を払ってイラストを書いて欲しいという人は、どれぐらいいるだろう?
フォロワーの中には、憧れであり、熱烈なファンであるという人も、もちろんいるだろう。
しかし、「フォロワーが一万人もいるんだって」「なんだか凄そう」「とりあえずフォローしとくか」という意味でフォローしている人を差し引いた上で、本当にそのイラストレーターの作品を評価している人はどれぐらいいるだろう?
もし、そのイラストレーターが、イラストレーターになりたい人向けに指南書を出版したならば、それは売れるだろう。しかし、自身の作品を画集として出版したら、どれぐらいの人がそれを買うだろう? もちろん、同業者目線でなく純粋にそのイラストが好きだからという理由で買う人だが。
ある意味、指南書の方がバカ売れしたなら、そのイラストレーターの作品自体はフォロワーに評価されていると言えるのだろうか?
いっそのこと、フォロワーは二種類に分けた方がいいのかもしれない。
Twitterをさらに楽しくするために
Twitterでは、” 憧れ ” という同業者視点のフォローと、純粋なファンとしてのフォローの二種類があり、それらを一括りとして「フォロワー」と呼んでいる。
ここで提案なのだが、フォロワーボタンを廃止し、ボタンを二つに分ける。前者を「観察対象」と呼び、後者を「ファン」と呼んでみてはどうだろう。
Twitterユーザーの間では、次のような会話が交わされるかもしれない。
「あの人、たくさんの人に観察されてるよ」
「でも、ファンは少ないよね」
「ほとんどの人は、キャリアに興味があるんだよ」
「じゃあ、プリントTシャツの売上げが伸びないのもそのせいだね」
「あの人のファンなの?」
「ファンじゃないけど観察はしてる」
もし、そうなったらTwitterが、今よりちょっと楽しくなりそうに思える。
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