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動画コメントを4つのタイプに分類する – タイプ別解説

YouTubeを見ていると人気動画のコメント欄には多くのメッセージが書き込まれている。それだけ多くの人々がYouTubeにアクセスしているのだろう。

ただ、単純な疑問なのだが、なぜ、コメントを書くのか?

人気ユーチューバーの動画となれば、膨大な数のコメントが寄せられるが、正直、どのコメントも同じ意見を言葉を変えて主張しているだけで、わざわざ時間を使って書き込むほど、価値があるものとは思えない。

例えば、発信内容に不備や間違いがあり、それを指摘するメッセージならば、誤った情報の拡散防止として理解は出来る。しかし、動画に対する評価や感想については、同じようなコメントがあればグッドボタンを押して ” 賛同 ” の意思表示だけで済む気もする。

しかし、このコメントを入れずにはいられない人々 ” コメント書きたがり層 ” は、自分の意見をねじ込める場所があれば、すかさずコメントを打つ。今回は ” コメントをする人々 ” について考察していきたい。

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コメントタイプ

コメントにもいくつかのタイプがある。


・動画をネタに会話する雑談系。

・ひたすら称賛するだけのゴマ擦り系

・動画を批評するアナリスト系

・成功者嫌いのアンチ系

 

二つ以上のタイプにまたがる場合もあるが、大方のコメントはこれらに分類できる。そして、各タイプごとに似たような主張を繰り返すだけだ。ではタイプ別に見ていこう。

・雑談系

まずは、雑談系だ。動画をネタにお喋りしたい人々が集まって、ジョークを言い合ったり情報交換をするといった、多分、これがコメント本来の形のようにも思える。発信内容に誤りがあった場合も雑談系の人々が親切にフォローアップしているのをよく見かける。多くは語らす、当たり障りのない会話をする傾向があり、争いを好まない。

・ゴマ擦り系

ゴマすり系は、一般的には ” 信者 ” とも呼ばれるが、有名なクリエイターの動画に多く出現する。無名のチャンネルで見つけることは皆無。彼らは、教祖が「カラスは白い」と発言すれば「さすが他とは違う視点!」とほめちぎる。全ての発言を肯定的に解釈する。

彼らは ” 権威主義 ” だ。チャンネル登録者数、Twitterのフォロワー数、収益額といった数値によってクリエイターの価値を見積り、実績になびきやすい。ビジネス系インフルエンサーが最も ” カモ ” にしやすい人種だ。ただ、彼らは基本、” 権威 ” になびくため、経歴詐称疑惑や炎上によってフォロワーが激減するなど、権威が失墜する出来事があると離脱しやすいのも特徴。

・アナリスト系

アナリスト系は、基本、自信過剰だ。自分の意見は他とは違うと思っており、長文コメントを書くのもこのタイプ。とにかく自分の鋭い分析を披露する場所を常に探し求めており、動画のコメント欄を利用して ” 個人ブログ ” を運営している。

ただ、彼らがコメント欄を活動の場所に選んでいるのは、自身に影響力が無いことを自覚しており、動画から零れ落ちてくるエサにあやかるためだ。クリエイターがクジラだとすれば、コバンザメ的な立ち位置になる。彼らの主張自体は、ありきたりなことを言葉を変えているだけで大して鋭くも個性的でも無い。

多分、僕は、この部類だろう。他人の動画にコメントは書き込まないが。

・アンチ系

最後にアンチ系だが、これはゴマすり系の対極的な位置づけだ。権威を嫌っており、成功している者に対して憎しみを抱いている。単なる嫉妬だと片づけてしまいがちだが、実際は格差に対する不満である。成功者はより成功し、そうでない人々は努力の報われない世界で泥を舐めて生活しなければならない。

今後、社会格差の広がりと共にアンチ人口は増えていくだろう。

コメント書きたがり層の心理

今、4つのタイプを挙げたが、そもそもコメント自体を書かないという人々が大多数いることも忘れてはならない。

アンケートでもよく言われることだが、アンケートという面倒な作業を避けたがるのが一般的な反応だと思うが、それをわざわざ答える人々の意見は、本当に一般的な意見と言えるのか? という疑問だ。

結局、YouTubeのコメント欄に書き込まれるコメントの数々は、自己主張をしたがるタイプの人々のものであり、世間一般の意見と言い切ることは出来ない。

彼らは、なぜ貴重な時間を浪費してまでコメントを書くのか?

一人一人に「なぜ、コメントを書くのですか?」と尋ねたところで、「暇だったから」とか「何となく」というありきたりな回答しか返ってこないだろう。彼らが真実を語ることは無い。

多分、彼らの行動原理は ” マーキング ” なのだ。と言っても犬が散歩中に草の茂みにするアレではない。世界のどこかに自身の痕跡を残して存在価値を見出そうとしている。何も残さずに死ぬより、何かを残して死にたいと思うのは人間の性だ。

Twitterのフォロワー増やしたがるのも、オンラインゲームで勝ちたがるのも、課金してまでアバターのコスチュームを個性的にしたがるのも、顔出しはしたくないがそれでもYouTubeデビューしたがるのも、どこかの経営者が無謀な挑戦をして歴史に残りたがるのも、一国のトップが国民を疲弊させてでも政権を維持したがるのも、結局は、存在の証を形あるものとして残したいという願望からだ。

しかし、それは裏を返すと自信の無さの表れであって、生きることに対する ” 焦り ” でもある。だとすれば、動画にコメントを書き残すことが、解決への道ではないことは確かだ。

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